海老原町をもっと - 海老原町

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区画整理前の海老原町

海老原町(えびはらちょう) - 黒内・土塔付近(守谷駅周辺の常総線と国道294号の間)を指す通称町名。1942年(昭和17年)に守谷字黒内の山林を切り開いて海老原軍需工場が設置され、それに隣接する地域が住宅地となったことにより「海老原町」の名が付けられた。現在の中央一・四丁目周辺で、守谷駅前の再開発で海老原町内は一時立ち退きとなったが、「海老原町公民館」にその名が見られる。

Wikipediaより

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海老原 直太   (海老原町の産みの親)

1893年(明治26年): 1月19日生まれ(守谷の奥山新田の出身)

1921年(大正10年): 東京の品川に「海老原板金工場」を設立日産自動車フェンダーの製作販売を始める。

1943年(昭和18年): 守谷に海老原航空機㈱を設立工場の一部を守谷に移し、航空機の部品製造を始めた。

1947年(昭和22年):海老原工場の閉鎖海老原氏が亡くなると共に工場も閉鎖された。(享年55歳)
             その後、海老原氏の親族は東京へ移住されているが、墓は長龍寺(守谷)に残されている。

※海老原航空機㈱は、中島飛行機株式会社「現 富士重工業 (SUBARU)」の下請けだったという。

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相撲興業
海老原航空機㈱の創立一周年記念に、相撲興業が行われた。
「横綱羽黒山」と「海老原直太」

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海老原工場の全景
現在の原町付近(常総線の西側)

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海老原町の山車
7月の最終土曜日に行われる八坂神社の祇園祭

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海老原踏切
北園の交差点から伊奈方面へ